※急行さんべ号の画像がなかったため、近い車両の写真でイメージ画像を掲載しております。
以下のサイトに、だんだんさんべ号(ヘッドマーク付き)の写真がありますので、ご覧くださいね。
昭和36年〜平成9年まで、『急行さんべ号』という列車が走っていたのはご存知ですか?
さんべって、大田のあの三瓶山のこと!?
大田の方で、鉄道に詳しい方に聞いてみたい!と思い、縄江先生にお話を伺ってきました。

お話を伺ったのは、来年2026年に100周年を迎える駅舎『静間駅』
『急行さんべ号』のお話伺う前に、今回インタビューの場所として選んだ『静間駅』についても説明させてください。
静間駅は、1926(大正15)年9月16日に開業した駅です。


石こうの輸送が多い時代で、大屋町の鬼村鉱山、久利町の松代鉱山から産出されたものが九州・山口などに運ばれ、主にセメントに使用されました。
大田の石こうがこの静間駅を出発して、色々な場所の建物や道路に使われたと考えるとすごいですね。(有名な場所だと、関門トンネルや黒部ダムは、大田の石こうが!!)
現在と違ってホームも4番ホームまでありました。(すごい!!)
1番線は上り(松江方面)、2番線は下り方面(浜田方面)、3番線は貨物ホーム、4番線は石こう会社が石こうを貨車に積み込むための専用線でした。
とてもにぎわっていた駅だったのだろうな、と想像するとわくわくします。


そして現在の駅舎の様子は・・・来年100周年ということもあり、歴史ある、青色の瓦と木造の建物。待合室には、昔からある木のベンチがあり、これがとても座りやすく、丁寧に作られた良いものなのだな、と感じました。


静間駅を利用された方はぜひ座ってほしいです!!
『急行さんべ号』について

※急行さんべ号の画像がなかったため、近い車両の写真でイメージ画像を掲載しております。
さてさて、本題の!『急行さんべ号』について縄江先生に伺っていきます。
Q.列車の名前の『さんべ』は、やはりあの『三瓶山』から取ったのでしょうか?
縄江先生:はい、「三瓶山」からとっています。国鉄が急行列車を各地の路線に設定する際、その地域で愛されている山、鳥、花などの名前が付けられました。
Q.いつからいつまで走っていた列車なのでしょうか?
縄江先生:昭和36年~平成9年まで運行されていた列車です。
DF50のディーゼル機関車に牽引して走っていた寝台列車の時代の名前は、漢字の『三瓶』でしたが、昭和43年にひらがなの『さんべ』になりました。
発掘スタッフ:漢字表記が読みづらかったのかなあ、『みかめ』『さんぺい』など色々な読み方があるため、間違われることも多かったのかも…と想像しちゃいますね。
1961(昭和36)年
大阪~大社・浜田間 夜行列車急行・・・名前は『急行三瓶号』DF50牽引旧型客車1965(昭和40)年
大阪・大社・石見益田(現:益田)・・・キハ58系(国鉄色の肌色、赤のセンターカラー)1968(昭和43)年
米子~熊本 米子~小郡(現:新山口) 米子~小倉・・・急行だいせんに統合し、ひらがなの『急行さんべ号』に変更。1969(昭和44)年
鳥取~熊本 鳥取~小郡(現:新山口)1973(昭和48)年頃~
3分割、3併結1992(平成4)年~
米子・小倉・・・1990年代(急行さんべの運行末期の頃)には、広島支社管内を走るため、広島急行色の「グリーン」になりました。急行「ちどり」「みよし」「たいしゃく」もこの色でした。1997(平成9)年11月30日廃止その後、臨時急行で走ったことも・・・
2008(平成20)年11月15、16日
『急行だんだんさんべ号』として米子 ~大田市間を走行
Q.『急行さんべ号』の思い出について教えてください。
縄江先生:松江に住んでいたころに、よく九州へ行くのに乗車していました。
松江→小倉まで6時間くらいかかっていたかと思います。
座席のシートも4人掛けの客車用で(座り心地もふかふかではない)お尻が痛くなりながら、鉄道旅を楽しんだ思い出があります。
『急行さんべ号』最後の日(ラストラン)は浜田駅で、2008年、山陰本線松江~安来間開業100周年を記念して運行された「だんだんさんべ号」は大田市駅で見送りました。「だんだんさんべ号」の時は、ホームで土江子ども神楽さんが演舞されていたのを覚えています。
そのほか『急行さんべ号』について教えてください。
縄江先生:今じゃとても珍しい運行をする列車でして…「離婚・再婚列車」と呼ばれました。車両が離れたり、くっついたり(合体する)するんです。
発掘スタッフ:どういうことです??
縄江先生:下りを例に説明しましょう。始発の鳥取を6両編成で出発した急行さんべは、山口県の長門市駅で前3両、後ろ3両に切り離されます。そして、切り離された2つの列車はそれぞれ別のルートを進むことになります。
1つ目は・・・山陰本線を通るコース
2つ目は・・・美祢線~山陽本線を通るコース
2つの列車は別々のコースで下関駅まで走り、そこで再び連結されて小倉、熊本を目指すんです。

一度離れて、また合体(連結)するため、(離婚)再婚列車と呼ばれていたんですよ。
普通、途中で車両を切り離して、また合流して連結することは全国でも珍しいことで、これができたのは、二つのルートがほぼ同じ距離だから可能だったことなのです。
発掘スタッフ:長門駅~下関の山陰本線側と美祢線~山陽本線側が同じ距離ってことですね!
縄江先生:そうなんです!そういった少し面白い列車のため、トラベルミステリー作家の西村京太郎さんの小説の舞台にも使われたんですよ。
「再婚列車殺人事件」(1982年)という作品です。
(ドラマシリーズでも再婚旅行殺人事件 出雲で死んだ女で放映された)
発掘スタッフ:色々トリックが分結、連結のあたりでソワソワする話になっていそうだなあ。本読んでみなくては!
また復活してほしい想い
お話を伺ってるうちに、また走ってくれないかな、『急行さんべ号』という話題に。
各地の急行が廃止され、地域の名前が入る列車は減っているとのこと。
島根県内でいうと、サンライズ出雲やスーパーおきくらいかもしれません。
『さんべ』と名がつく列車が走ることで、全国への三瓶山の認知拡大、また鉄道ファンや三瓶を観光する方も増えるのではないか、と考えると復活してくれないかな~
そして、現在益田〜米子・鳥取あたりまで特急か普通しか走っておらず、急行列車がまた走ってほしいなあ~という話で盛り上がりました。
ここからは、勝手に想像なのですが・・・
『さんべ』にちなんだ美味しいものが食べられるなどの観光列車として復活しても面白そう。
米子〜大田市間を走るコースなどで、三瓶そばが食べられる列車とかいいな~と考えたりしたのでした。
今回お話を伺わせていただきました、縄江先生、ありがとうございました!
また鉄道の話を聞かせていただきたいです。

お話を伺っている途中、ワンマン列車も到着したところを撮影もできました!
お話を伺った静間駅の場所

静間駅
住所:島根県大田市静間町
今回記事の中で参考にさせていただいたサイト





